聖書箇所ー列王記下4:18~37

◇「シュネムの女」は尊敬するエリシャのために、自宅の一室に定宿を提供したのでエリシャは感謝して、「13:あなたのために何をしてあげればよいのだろうか」と申し入れた。彼女は「何不足なく暮らしています」と答えたが、召使いのゲハジが、「14:彼女には子供がなく、夫は年を取っています」という事実を報告した。

◇そこでエリシャは彼女に「16:来年の今ごろ、あなたは男の子を抱いている」と告げ、予告の通り妊娠して男の子を産んだ。

◇ところがせっかく与えられた息子が急に病気で死んでしまう。母は自ら25㎞をひたすら歩いて預言者のところへ行き、エリシャの足にすがりついて訴える、「28:わたしがあなたに子供を求めたことがありましょうか。わたしを欺かないでくださいと申し上げたではありませんか」。

◇「ずっと出来なかった子供が生まれると告げ、生まれたら間もなく死んでしまう、こんなぬか喜びさせて、馬鹿にするのはやめて下さい」という意味だったのだろう。

◇エリシャはすぐに召使いのゲハジに自分の杖を持たせ、これで子供を癒せと遣わす。しかし彼女は「30:わたしは決してあなたを離れません」とすがりつくので、エリシャは腰を上げてシュネムまで同行する。

◇エリシャは部屋に入って戸を閉め、主に祈ってから子供の上に覆い被さった。しばらくすると「34:子供の体は暖かくなった」。そしてもう一度繰り返すと、「35:子供は七回くしゃみをして目を開いた」。「36:あなたの子を受け取りなさい」と言われた母親は、畏れと驚きに満たされ、やがて感謝の内に「37:エリシャの足もとに身をかがめ、地にひれ伏した」。

◇人間の最大の希望は、最大の敵である死が、最大の敵ではなくなったという事実だ。未来への可能性は、人間の可能性を超えたところに、神によって開かれている。人間はそこを目当てに、それを信じて、今生きる命を精一杯に生きるのだ。パウロは「キリストが復活しなかったのなら、わたしたちの宣教は無駄であるし、あなたがたの信仰も無駄です」と言いきる(Ⅰコリント15:14)。キリストの復活によって大きく開かれた人間の可能性、世界の希望を感謝し、世界に証しする教会でありたい。
                        大村 栄