聖書箇所ーマルコ福音書10:17~31

◇ある金持ちの男が主イエスに尋ねた。「17:永遠の命を受け継ぐには、何をすればよいでしょうか」。「永遠の命」とは肉体の死を越えた天国での平安。それを知って豊かに生きること。これに対し主イエスは、「19:殺すな、姦淫するな、盗むな、偽証するな、奪い取るな、父母を敬え」という十戒の後半の、隣人愛に関する掟を守りなさいと指示された。

◇これに対して青年は、「20:そういうことはみな、子供の時から守ってきました」と誇らしげに答える。だが大事なのは「子供の時から守って」きた教えを、今実践できるかである。「21:あなたに欠けているものが一つある。行って持っている物を売り払い、貧しい人々に施しなさい」。

◇隣人愛の究極は差し出すこと、捧げることだ。すると、「22:その人はこの言葉に気を落とし、悲しみながら立ち去った。たくさんの財産を持っていたからである」。富は否定されないが、その用い方が問われる。

◇富を差し出せずに、悲しみながら去っていった青年の背中を見ながら、「25:金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい」と主は言われた。持ち物に執着している者は天国に入れないならば、「26:それでは、だれが救われるのだろうか」と弟子たちがつぶやいた。

◇だが主は言われた。「27:人間にできることではないが、神にはできる。神は何でもできるからだ」。そうだとしたら、どんな人間も救って下さるはずだ。あの青年にも可能性はあるかもしれない。

◇ペトロが誇らしげに言う、「28:このとおり、わたしたちは何もかも捨ててあなたに従って参りました」。主イエスはそのことを高評価された。しかしそのあとに、さらにもっと決定的なことが言われる。「31:しかし、先にいる多くの者が後になり、後にいる多くの者が先になる」。あの「富める若人」(賛美歌243)もその「後にいる多くの者」の一人だろう。

◇受胎告知を受けて驚くマリアに、天使に「神にできないことは何一つない」と言い、彼女は「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように」と応える。人間の可能性を越えた、神の可能性を信じて委ねたひとりの少女の信仰によって、クリスマスは実現したのだ。私たちも人間の可能性でなく、神の可能性に生きる者でありたい。

                         大村 栄