聖書箇所ーマルコ福音書7:1~23

◇主イエスは「5:なぜ、あなたの弟子たちは昔の人の言い伝えに従って歩まず、汚れた手で食事をするのですか」と問われたのに対して、「8:あなたたちは神の掟を捨てて、人間の言い伝えを固く守っている」と反論し、「15:外から人の体に入るもので人を汚すことができるものは何もなく、人の中から出て来るものが、人を汚すのである」と言われる。

◇世の中に汚れた物があると言うが、「19:それは人の心の中に入るのではなく、腹の中に入り、そして外に出される。こうして、すべての食べ物は清められる」。汚れたものを食べても、心の底まで汚されはしない。一旦腹に入ってもやがて排泄される。過度に恐れるのは愚かだ。

◇私たちの身近なところでも迷信のような、「昔の人の言い伝え」が少なくない。冬至に「柚子湯」に入るのは、冬至が「湯治」であり、柚子は「融通」がきくという縁起かつぎの語呂合わせだ。「15:外から人の体に入るもので人を汚すことができるものは何もなく、人の中から出て来るものが、人を汚すのである」。外からの攻撃に私たちが負けるのではない。私たち自身の内側に汚れがあり、罪があるのだから、防衛のために柚子湯に入ったって免罪符を買ったって、何をしたって駄目だ。

◇この対処のしようがない内面の罪を克服するためは、まず自分の罪を自覚し、神はこの罪から私たちが解放されることを臨んでおられると知ることだ。エゼキエル書18:31-32(招詞)「お前たちが犯したあらゆる背きを投げ捨てて、新しい心と新しい霊を造り出せ。イスラエルの家よ、どうしてお前たちは死んでよいだろうか。わたしはだれの死をも喜ばない。お前たちは立ち帰って、生きよ」と主なる神は言われる」。

◇神は私たちが新しく変わることを強く望んでおられる。そしてクリスマスにひとり子イエスを世に下さり、最後に十字架にかけられた。これは私たちの罪を身代わりに負うて下さることだった。これによって神は私たちの対処しがたい内面の問題を解決して下さり、それによって「お前たちは立ち帰って、生きよ」と励まして下さるのだ。

◇クリスマスは冬至の時期だ。一番夜が長くて暗くて寒い時期。だがここから明るい日々に移っていく転換点、それがクリスマスなのだ。        大村 栄