聖書箇所ーマタイ福音書25:1~13
◇新約聖書の時代のイスラエルは、ローマ帝国の迫害や戦乱の中でも、キリスト者たちは「主は再び来られる」と信じて希望を持ち続けた。だがこんなに待ってもまだ主は来ないのか、そんな深刻な疑念がキリスト者の間で沸き始めていた。今日の箇所は誕生して間もない初代教会に訪れた大きな信仰的危機である「終末の遅延」の問題を扱っている。
◇「1:天の国は次のようにたとえられる。十人のおとめがそれぞれともし火を持って、花婿を迎えに出て行く」。花嫁は実家で花婿の到着を待つ。花婿が迎えに来たら新郎新婦を先頭にともし火を掲げて行列し、花婿の家で祝宴が行われる。それがおとめたちの役目だった。
◇10人のおとめたち、「2:そのうちの五人は愚かで、五人は賢かった。3:愚かなおとめたちは、ともし火は持っていたが、油の用意をしていなかった。4:賢いおとめたちは、それぞれのともし火と一緒に、壺に油を入れて持っていた。5:ところが、花婿の来るのが遅れたので、皆眠気がさして眠り込んでしまった」。ここに「再臨の遅延」が扱われている。
◇ちっとも花婿=主イエスは来ないのでキリスト者たちの信仰は崩れ、緊張も忍耐も薄れた。「眠り込んでしまった」のは仕方ないが、備えをしていたかが問われる。
◇「6:真夜中に「花婿だ。迎えに出なさい」と叫ぶ声がした。7:そこで、おとめたちは皆起きて、それぞれのともし火を整えた。8:愚かなおとめたちは、賢いおとめたちに言った。「油を分けてください。わたしたちのともし火は消えそうです。」9:賢いおとめたちは答えた。「分けてあげるほどはありません。それより、店に行って、自分の分を買って来なさい」」。
◇マタイ24:3以下の「終末の徴」から。そのとき「12:不法がはびこるので、多くの人の愛が冷える。13:しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる」。社会の混乱で愛が冷えていっても、そのともしびを最後まで絶やさずに「耐え忍ぶ者は救われる」。それは愛のともし火を絶やなさいために、その油を備えていることである。
◇来週から降誕前節を迎える今、闇の中にも愛のともしびを高くかかげ、花婿なるイエス・キリストを歓迎する備えをしたい。
大村 栄