聖書箇所ーマタイ福音書7:15~29

◇「26:わたしのこれらの言葉を聞くだけで行わない者は皆、砂の上に家を建てた愚かな人に似ている。27:雨が降り、川があふれ、風が吹いてその家に襲いかかると、倒れて、その倒れ方がひどかった」。もろくて容易に造れる「砂上の楼閣」を建てる者が知らない本当の土台とは、「イエス・キリストという土台」(Ⅰコリント3:11)のことである。

◇真実の土台を示さず、安直な生き方をそそのかす者を「15:偽預言者」と呼び、彼らの「内側は貪欲な狼である」と言われる。彼らは「22:主よ、主よ、わたしたちは御名によって預言し、御名によって悪霊を追い出し、御名によって奇跡をいろいろ行ったではありませんか」と自分の信仰を誇ろうとする。しかし彼らは「22:かの日には」はっきりと拒絶される。

◇主イエスは言われる、「23:そのとき、わたしはきっぱりとこう言おう。「あなたたちのことは全然知らない。不法を働く者ども、わたしから離れ去れ」」。安直な道を選び取り、そのくせ自分の信仰を誇るような者は「23:不法を働く者ども」と言われる。

◇「不法
」と言えば、マタイ24:3-14に描かれている「終末の徴」の終わり近くに、「12:不法がはびこるので、多くの人の愛が冷える」とある。混乱の中の「不法」とは「多くの人の愛が冷える」ことなのだ。

先ほど主イエスは、信仰の内面より表面を尊ぶ人々を「23:不法を働く者ども」と言われた。つまり愛が冷えるような言動を流布させ、冷たい社会を助長することが、「23:不法を働く」ことであり、それをする「者ども」であり、その者どもは「わたしから離れ去れ」と拒絶されるのだ。

◇逆に困難の時にも、キリストの言葉を信じて、しがみついていく者は、「24:わたしのこれらの言葉を聞いて行う者は皆、岩の上に自分の家を建てた賢い人に似ている。25:雨が降り、川があふれ、風が吹いてその家を襲っても、倒れなかった。岩を土台としていたからである」。

◇「22:かの日には
」御国に迎えられる希望を生きる者ともなるであろう。
    真実(まこと)なるみかみを たのめるもののみ、
        岩の上に家をば 建てしひとのごと。
            なやみのときにも 動くことなからん。 讃美歌304


                         大村 栄