聖書箇所ーマルコ福音書4:35~41

◇ガリラヤ湖上でのお話し。この湖はイスラエルの北にあり、時々山から吹き下ろす風が、突風となって湖面を駆け抜けることがあった。

◇湖上を進む一槽の小舟に主イエスと弟子たちが乗り込んでいる。伝道旅行の途上だったのだ。そこへ例の山おろしが吹いてきた。「37:激しい突風が起こり、舟は波をかぶって、水浸しになるほどであった」。これは大変だ。ところが、「38:イエスは艫の方で枕をして眠っておられた」。そこで、「38:弟子たちはイエスを起こして、「先生、わたしたちがおぼれてもかまわないのですか」と言った」。弟子たちはパニックになって訴えるけれど、主イエスは眠ったままだ。

◇湖は「海」とも訳される。海は悪魔的力が跳梁跋扈する闇の世界だ。天地創造の3日目に神は「天の下の水は一つ所に集まり、乾いた地が現れよ」(創世記1:9)と、海と陸との境を定め、海を海岸線の向こうに封じ込めた。

◇しかし時々大規模な洪水があった。「ノアの洪水」はチグリス・ユーフラテス川の氾濫だったようだ。15年前の東日本大震災では、海がその限界であるはずの海岸線を超えて波となって陸に乗り上げ、地上の多くのものを破壊し、そして多くのものを海へ引きずり込んでいった。

◇今日の箇所は津波ではないが、海の嵐という点では共通している。海がひどく荒れて、主イエスの乗った舟は木の葉のように舞い、波に翻弄された。しかしそういう混乱のただ中でも、主イエスは安らかに眠っている。いつでも安眠できるというのは素晴らしい恵みだ。「主は愛する者に眠りをお与えになる」(詩編127:2)。

◇弟子たちが「38:先生、わたしたちがおぼれてもかまわないのですか」と叫んでいる時に、主は「39:黙れ。静まれ」。それは嵐に対すると同時に、嵐に脅える弟子たちの心に向かけられた命令でもある。キリストと共にいて神の平安にあずかっているはずなのに、そのことを忘れて恐れに取り憑かれている。それはまさに私たち自身の心の様である。

◇キリストが共にいる舟とは教会を指す。主は私たちをこの舟に乗り込むよう招き、「35:向こう岸へ渡ろう」と言われる。それは神の国である。この船路に「やすかれ、わが心よ、主イェスはともにいます」(讃美歌298)。
                           大村 栄