聖書箇所ーマルコによる福音書1:21~28

◇主イエスが会堂で神の言葉を語っていた時、そこに「23:汚れた霊に取りつかれた男」がいた。別の言い方では「悪霊」。これは人間を駄目にする力だ。心や身体の病だけでなく、様々な姿においてこれは私たちの健康と生活を脅かすもの。その悪霊に取りつかれた男が、礼拝の場にいるのは奇異な気がする。悪霊はむしろそこを避けるのではないか。

◇いわゆる宗教的なものに心ひかれる人は多い。「いわゆる」とは、占いとか超能力といった類いのこと。本当の宗教と「いわゆる」宗教的なものとは全く違う。本当の宗教を信じる人は、本当に恐れるべきもの、本当に敬うべきものを知っているから、そうでないものを恐れない。

◇しかし本当に恐れるべきもの、敬うべきものを知らない人は、占いに左右され、超能力におびえ、神秘的な事柄に恐れを抱いてしまう。そうやって人を惑わすのが悪霊の仕業なのかも知れない。

◇主イエスは「15:時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」(1:15)という、神の愛による支配を告げる福音告げ知らせた。それは人を深いところで奮い立たせ、全人格的に人を感動させる教えだ。

◇これに強く反応したのは「汚れた霊に取りつかれた男」だった。おそらく普通の人以上に敏感な感受性を持つ彼は、彼は手強い敵の登場を直感して叫んだ、「24:ナザレのイエス、かまわないでくれ。我々を滅ぼしに来たのか。正体は分かっている。神の聖者だ」。本物だと察知したのだ。

◇「我々」と複数形である。人間を駄目にする悪霊とは一人の中に大勢が住み着いて、私たちの内側に分裂と混乱を起こさせ、冷静で主体的な判断や行動を出来なくさせる。それがこの男に取り憑き、住み着いたように、悪霊は常に誰かの中に入り込んで寄生(パラサイト)して生きる。

◇主イエスは悪霊に「25:黙れ。この人から出て行け」と叱り追放した。私たちを弱らせ、自主性を失わせ、前向きに考え行動することを阻もうとするどんなどんな勢力も、「主キリスト・イエスによって示された神の愛から、わたしたちを引き離すことはできない」(招詞ローマ書8:39)と告げる福音によって、私たちは勇気と希望を持って、それらに立ち向かうことが出来る。そのことを告げる福音を、教会と私たちの最大の武器としていこう。
                         
                            大村 栄