聖書箇所ーマルコ福音書9:2~13

◇主イエスは山の上で、十字架への道が本当に神のみ旨なのかを聴こうとされた。「2:六日の後、イエスは、ただペトロ、ヤコブ、ヨハネだけを連れて、高い山に登られた。イエスの姿が彼らの目の前で変わり、3:服は真っ白に輝き、この世のどんなさらし職人の腕も及ばぬほど白くなった。4:エリヤがモーセと共に現れて、イエスと語り合っていた」。

◇モーセは律法を神から渡された。エリヤはアハブ王と神の言葉を武器にして戦った。この二人の登場は、イエスこそが律法の完成者であり、神の言葉が勝利するしるしであることを示すと共に、イエスの進む十字架への道は、神の計画にある出来事であることを示している。

◇ペトロはこのことに感動し、「5:先生、わたしたちがここにいるのは、すばらしいことです。仮小屋を三つ建てましょう。一つはあなたのため、一つはモーセのため、もう一つはエリヤのためです」と言う。感動屋の彼らしい。しかし神の声があった。「7:これはわたしの愛する子。これに聞け」。神のご計画を信じる信仰は「記念」するものではない。これに聞き、これに従って生きよ、と促される。

◇マルチン・ルーサー・キング牧師は、1968年4月4日にライフル銃によって殺害される前夜に「私は山に登った」と題する説教を語った。「神は私に山に登ることをお許しになった。そこからは四方が見渡せた。私は約束の地も見た。私は皆さんと一緒にそこには行けないかもしれない。しかし今夜私は幸せだ。何も心配してはいない。誰をも恐れてはいない。私の目が主の栄光を見たのだから」。

◇山に登るのは、そこから四方を見渡し、進むべき道を見定めるためである。キング牧師が山の上から「約束の地」を見たように、主イエスも山上で十字架への道を見定めた。弟子たちにはそれが、栄光に輝く道に見えたから記念に小屋を建てましょうなどと呑気なことを言っているが、主イエスの目には、十字架と復活への道が写っていた。

◇私たちも下山をたどるときが来るが、私たちの下山の先には、キリストの死と復活がある。「わたしたちは、キリストと共に死んだのなら、キリストと共に生きるようになる」(2テモテ2:11)。            大村 栄