聖書箇所ーマタイ福音書8:5~13
◇地方都市カファルナウムに駐留していたローマの百人隊長が、被占領国のイエスを信頼して、部下の重病を癒やして貰えると信じた。主イエスが「7:わたしが行って、いやしてあげよう」と言うのに、百人隊長は、「8:主よ、わたしはあなたを自分の屋根の下にお迎えできるような者ではありません。ただ、ひと言おっしゃってください。そうすれば、わたしの僕はいやされます」と大変謙虚に答えている。
◇さらに「9:わたしも権威の下にある者ですが、…部下に「これをしろ」と言えば、そのとおりにします」。これを聞いて主イエスは感心し、彼を高く評価した。自分はローマ皇帝の権威の下にあるが、主よ、あなたは人間ではなく、神の権威の下にある方です。私が皇帝の権威によって命じれば100人の部下は従います。しかしあなたはそれどころではない。あなたが神の権威によって命じるならば、世界のすべてが服従するのです。
◇ローマ帝国の軍人である百人隊長は、国家の権威に対する服従精神をたたき込まれてきた。そんな彼だからこそ、主イエスの中に、この方を遣わし、この方を用いたもう偉大なる権威の存在を感じ取ったのだろう。
◇幕末の時代に戊辰戦争など激しい政権争いが起こった。その結果勝ったのが薩長土肥の尊皇倒幕派。負けたのが佐幕派の青森、仙台、会津など。中でも会津藩は白虎隊の悲惨な最期などが有名。
◇しかしその壊滅的になった会津から井深梶之助、山本覚馬などの牧師・キリスト者が出た。一番の負け組である幕臣出身の平岩愃保、植村正久、内村鑑三などが牧師となって、日本のキリスト教の基礎を築いたのである。
◇薩長の「勝ち組」は新政府の世に自らを国に捧げ、命を生かし用いた。負け組は地上における立身出世の道が絶たれたが、彼らはその失望の中から命の生かし方を、地上の国にまさる「神の国」に仕える道に見出していった。彼らが明治時代の牧師たちだった。
◇私たちも自らの身も魂も捧げて生きるにふさわしい、本当の権威の下に身を置くことを志したいものだ。 大村 栄