聖書箇所ー使徒言行録20:17~35

◇パウロはエフェソ教会の長老たちに語った最後の説教で、自分が語り続けたのは、「21:神に対する悔い改めと、わたしたちの主イエスに対する信仰」、「悔い改めと信仰」だったと言う。「悔い改め」メタノイアとは人生の方向転換である。「メタノイア」を逆から読むと、「アイノタメ」、欲望のためにから、神の愛を生きる方向に向きを変えることだ。

◇彼は悔い改めと信仰を「24:力強く証しするという任務を果たすことができさえすれば、この命すら決して惜しいとは思いません」と言い切る。苦難が待っていることを予感しつつも、臆することなくパウロは語る。

◇「26:今日はっきり言います。だれの血についても、わたしには責任がありません」。これだけ悔い改めと信仰について必死に語ったのだから、耳を貸さない人には責任が持てない。だが同時に「31:三年間、あなたがた一人一人に夜も昼も涙を流して教えてきたことを思い起こして」ほしいとも言う。これは愛への方向転換を拒否する者への同情の涙である。

◇パウロは心からエフェソの教会を愛し、語りかけてきた。彼にその熱意を起こさせる動機として、「28:神が御子の血によって御自分のものとなさった神の教会」という言葉に込められた神の愛がある。その神の熱き思いを表す御子の十字架が教会にある。

◇28~32節は牧師の就任式で読まれる箇所である。「28:聖霊は、神が御子の血によって御自分のものとなさった神の教会の世話をさせるために、あなたがたをこの群れの監督者に任命なさったのです」。「教会の世話」とは牧会と事務と営繕、中野教会では幼稚園の運営が大きい課題だ。
◇しかしそれら以上に牧師に最も期待され、尊重されるべき最大の務め、それは「32:今、神とその恵みの言葉とにあなたがたをゆだねます」。「神とその恵みの言葉」、つまり聖書に記された神とその言葉を語る「説教」こそが、「28:この群れ(教会)の監督者に任命」された者としての責任であり、義務であり、しかしまた同時に喜びだと思っている。

◇「32:この言葉は、あなたがた(牧師たち)を造り上げ、聖なる者とされたすべての人々(信徒たち)と共に恵みを受け継がせる」。礼拝の言葉は語る者、聴く者、それぞれの人間を作り上げ、教会を作り上げるのだ。
                      大村 栄