聖書箇所ーヨナ書3:1~10
◇その時代、アッシリアの都ニネベは暴力と腐敗に満ちていた。神が預言者ヨナに命じる。「1:2 さあ、大いなる都ニネベに行ってこれに呼びかけよ。彼らの悪はわたしの前に届いている」。ヨナは悪のはびこる都に行くのを嫌って、船でタルシシュに逃げようとするが、大嵐に遭い、海に投げ込まれた。すると大きな魚がヨナを飲み込んで、再びニネベへと運ばれる。
◇そこで語らせられるのは、神の裁きの宣告ではなく、滅びる前に罪を悔い改めよとの警告だ。しかしヨナはニネベに悔い改めてほしくない。悪の都は滅びたらいいと思っていた。だから船で神から逃げようとしたのだ。
◇結局ヨナは不承不承、神の警告を取り次ぐ。「4:あと四十日すれば、ニネベの都は滅びる」。しかし「だから悔い改めよ」とは告げない。ところがそれを聞いた人々は、すぐに「5:神を信じ、断食を呼びかけ、身分の高い者も低い者も身に粗布をまとった」。ニネベの王も悔い改めを呼びかけ、「9:そうすれば神が思い直されて激しい怒りを静め、我々は滅びを免れるかもしれない」と言った。王にも民にも、不安と恐れがあったのだろう。
◇神はそれを見て、「10:宣告した災いをくだすのをやめられた」。しかし「4:1 ヨナにとって、このことは大いに不満であり、彼は怒った」。神が「10:思い直され」ることは分かっていた。「2:だから、わたしは先にタルシシュに向かって逃げたのです」。神は罪人に甘いと不満を述べる。
◇ヨナが住む小屋の横にとうごまの木が生えて良い日よけになった。だが神が熱風を送って一晩で枯らしてしまう。ヨナはぐったりして「8:死ぬ方がましです」と訴えた。お前がとうごまを惜しむなら「11:どうしてわたしが、…ニネベを惜しまずにいられるだろうか」と神は言われる。
◇その民を特愛するのではない。「11:そこには、十二万人以上の右も左もわきまえぬ人間と、無数の家畜がいるのだから」。愚かな民も家畜も同じに大切にされ、惜しまれる。
◇それを「神の不平等」と不満を持つのはふさわしいだろうか。ぶどう園で早朝から働いた人にも、終わり頃に来た人にも、主人は等しく賃金を渡した(マタイ20:1以下)。それを「不平等」と不満を述べる者もいたが、主人は彼に、あなたは「15:わたしの気前のよさをねたむのか」と宥める。その「気前の良い」神の愛と憐れみ、すなわち神の忍耐こそが、私たちの救いなのだ。