聖書箇所ーⅡコリント書8:1~9
◇パウロは地中海各地で異邦人伝道を行い、「1:マケドニア州の諸教会」など建てた。この教会の信徒たちは「4:聖なる者たちを助けるための慈善の業と奉仕に参加させてほしいと、しきりにわたしたちに願い出た」。「4:聖なる者たち」とは総本山エルサレム教会。そこは最後の晩餐が行われた世界最初の教会だが、相次ぐ戦乱や自然災害などで疲弊していた。
◇この困窮するエルサレム教会に対して、異邦人キリスト者らが救援の手を差し伸べる。ゆとりがあったからではない。「2:彼らは苦しみによる激しい試練を受けていたのに」、「人に惜しまず施す豊かさ」があった。そ人間の常識とは異なる全く別な基準によって、初めて可能となる。
◇それは「9:主は豊かであったのに、あなたがたのために貧しくなられた。それは、主の貧しさによって、あなたがたが豊かになるためだったのです」。自分が貧しくなることによって、人々を富ませるというキリストの生き様。そこに常識的価値観を越えた崇高な生き方がある。
◇中野教会と同じ旧メソジストの静岡教会員で、静岡英和女学院の理事長だった辻昭さんは、英和の生みの親であるカナダの教会を訪ねた。東洋英和・山梨英和・静岡英和はカナダ・メソジスト婦人伝道会の祈りと献身によって生れた。婦人たちは編み物を教会のバザーで売る、教会へは有料の乗り物を使わずに歩いて、そのお金を献金する。そうやって日本伝道のために捧げられていたことを知ったを辻さんは感動したという。
◇かつて清水教会にいた時に、出稼ぎに来ているブラジル人たちに、毎週午後3時から礼拝堂を貸した。清水港周辺の水産加工場などで働きながら家族に仕送りをし、自分たちは切り詰めた生活をしていた。
◇清水教会のバザーの売れ残りの古着などを喜んで買っていった。いつか彼らの捧げた礼拝献金が、のんきに籠ごと礼拝堂に置き忘れられていたことがあって、中を見たら驚いた。円やドルで何万円も捧げられていた。バザーの残り物の古着や布団などを喜んで買う彼ら、仕送りをして自分の衣類も倹約している彼らが、礼拝には精一杯着飾って集まり、喜びにあふれる礼拝を捧げ、主のために出来る限りの献げ物をする。
◇私たちもそんな思いで礼拝に集い、捧げる喜びを味わいたい。 大村 栄