聖書箇所ーマタイによる福音書7:15~29
◇「13:狭い門から入りなさい。滅びに通じる門は広く、その道も広々として、そこから入る者が多い。14:しかし、命に通じる門はなんと狭く、その道も細いことか。それを見いだす者は少ない」。アンドレ・ジイドの小説「狭き門」(1909年)では、若者ジェロームが2歳年上のアリサに恋をする。
◇だがアリサにはプロテスタント信仰による強い、禁欲的なほどの自己抑制がある。彼女は「命に通じる門」は身を整えて自分一人で通らねばならないと考え、女としての喜びを求めてはいけないと考える。ついにアリサはジェロームに別れを告げ、その後人知れず病に死んでしまう。
◇ジイドはフランス北部ノルマンディー生まれ。プロテスタント信徒だった父に厳格な宗教教育を受けた。フランスはカトリックが多く、そのラテン的大らかさに比べると、ノルマンディーに多いプロテスタントは、ピューリタン的な、欲望を抑制して突き詰めた生き方を志向する。
◇この小説はプロテスタント信仰に真剣に生きようとした女性の悲劇を描くことによって、ジイドが自分の受けたプロテスタントの厳格な宗教教育を批判しようとしたと言われる。しかし単に批判するだけでなく、憧れのようなものもあって、アリサの姿を愚かにではなく、切ないほどに美しく描いている。その美しさと悲しさがこの作品の魅力である。
◇ジイドの言う「狭い門から入る」とは、安易な道ではなく厳しい道を選択するということだ。「求めよ、さらば与えられん」(7:7)。真剣に求めて、労苦して「狭い門」から入った時に、しかしそれが「滅びに通じる門」ではなく「命に通じる門」であり、その先に「広い道」が備えられていることを知る。その道を見出すのが真実の信仰ではないか。
◇詩編84「6:いかに幸いなことでしょう/あなたによって勇気を出し/心に広い道を見ている人は。7:嘆きの谷を通るときも、そこを泉とするでしょう」。苦しい時にも信じて委ねるなら、神は「11:求める者に良い物をくださるにちがいない」との信頼に立つことができる。
◇道が開いてから踏み出すのではない。歩み出したら道が開かれていくのである。「嘆きの谷を通るときも」、勇気と信頼をもって歩み続けていくことが、「門をたたく」ということなのではないか。
大村 栄