聖書箇所ーネヘミヤ記2:1~18

◇バビロニアがペルシアに滅ぼされた後、捕囚のユダヤ人は祖国への帰還が許された。だが中にはネヘミヤのように、バビロンに留まってペルシアに仕える者たちもいた。彼は王宮で王の毒味と酌をする役だった。ある夜王はネヘミヤに問う。「2:暗い表情をしているが、どうかしたのか」。

◇その3ヶ月前に、故郷の状況を伝えてくれる者があり、それによると同胞ユダヤ人は、「3:大きな不幸の中にあって、恥辱を受けています。エルサレムの城壁は打ち破られ、城門は焼け落ちたままです」。それを聞いてネヘミヤは「4:座り込んで泣き、幾日も嘆き、食を断ち、天にいます神に祈りをささげた」。3ヶ月間彼はじっと待ち、時をうかがっていた。

◇そしてついに、「4:何を望んでいるのか」と王に尋ねられる時を得た。祈って忍耐して待った結果だ。ネヘミヤは王に「5:わたしをユダに、先祖の墓のある街にお遣わしください。町を再建したいのでございます」と嘆願した。かつて黄金の都と呼ばれたエルサレムへ帰ると言ったら、王に不快感を与えるだろう。だから彼は「先祖の墓のある町」と言う。

◇ネヘミヤの祈りと時を待つ忍耐、それによって与えられる知恵により、故郷への旅が実現する。だがいざ故郷に着いてみたら、彼の再建事業を妨害する勢力がいた。彼は敵の妨害を避けて実態調査を深夜に行った。その実態は「14:わたしの乗っている動物が通る所もないほどであった」。馬に乗って通るすきまもないほどの廃墟となっていたのだ。

◇調査を終えてネヘミヤは言う。「17:御覧のとおり、わたしたちは不幸の中であえいでいる。エルサレムは荒廃し、城門は焼け落ちたままだ。エルサレムの城壁を建て直そうではないか。そうすれば、もう恥ずかしいことはない」。単なる都の荒廃ではない。その中心にある神殿の荒廃であり、そこで行われる礼拝の荒廃だ。それは「恥ずかしいこと」だ。

◇私たちは「母なる教会」が荒れ果てていたら「不幸の中であえぐ」だろうか。「恥ずかしい」と思うだろうか。教会は私たちの信仰を表す。その教会が荒れ果てていたら、神がその再建を望まれる。「20:天にいます神御自ら、わたしたちにこの工事を成功させてくださる。その僕であるわたしたちは立ち上がって町を再建する」。主のご用に仕えていこう。

                     大村  栄