聖書箇所ー使徒言行録13:26~3

◇パウロは各地に点在するユダヤ人共同体を訪ねては、旧約に預言されていた救世主とは、イエス・キリストのことであると説いた。しかし、伝統に固執するユダヤ人はこれに反発した。彼らは「28:イエスを死刑にするようにとピラトに求め」、イエスは十字架に付けられた。

◇「30:しかし、神はイエスを死者の中から復活させてくださったのです」。ユダヤ人の妬みや暴力を超えて、神によって新しい展開を迎えることが可能になった。この復活こそが罪の赦しのしるしだったのだ。

◇しかし町中の異邦人がパウロの言葉を聞きに集まると、ユダヤ人たちはこれを見てねたみ、パウロたちの伝道を妨害した。そこでパウロとバルナバは語った。「46;見なさい、わたしたちは異邦人の方に行く」。その時以来、ユダヤ人はキリスト教伝道から取り残されていく。

◇しかしパウロはこれが最後のチャンスとばかり、幾つかの旧約聖書を引用してキリストの復活が約束の成就であったことを告げる。ユダヤ人たちは偉大な王でソロモンの父ダビデを賞賛する。しかし「36:ダビデは、彼の時代に神の計画に仕えた後、眠りについて、祖先の列に加えられ、朽ち果てました。37:しかし、神が復活させたこの方は(キリスト)、朽ち果てることがなかったのです」。

◇モーセもダビデもソロモンも朽ち果てたが、キリストだけは朽ち果てない。死とは「罪に対する罰」だったが、キリストの復活は人間の敵意と暴挙である十字架の赦しであり、それによってユダヤ人だけでなく、すべての人間において「罪に対する罰としての死」が廃棄されたのだ。

◇私たちもユダヤ人と同様にキリストを拒絶し、聖書の約束を信頼できない愚か者であるが、それにもかかわらず、神はユダヤ人だけでなく、私たちをも全面的に赦して下さった。Ⅰコリ15:54-57「54:この朽ちるべきものが朽ちないものを着、この死ぬべきものが死なないものを着る」ときに「死は勝利にのみ込まれ」、赦しのしるしとしてのキリストを罪の体に着て、新しい命に生きる希望を与えられた。

◇「もし神が、瞬時にせよ赦すことをやめたら、我々の地球は粉々に飛び散っていることだろう」(ジュリアン・グリーン)。代々の聖徒らと共に、愛と赦しの神に感謝しう。

                        大村 栄