聖書箇所ーマルコ福音書12:18~27
◇兄が妻を残して死に子がない場合、弟が兄嫁と結婚して、家名や財産を守るレヴィラート婚という律法の規定がある。「18:復活はないと言っているサドカイ派」はそのことを素材に、復活の矛盾点を突いてくる。
◇「20:七人の兄弟がいました。長男が妻を迎えましたが、跡継ぎを残さないで死にました。21:次男がその女を妻にしましたが、跡継ぎを残さないで死に、三男も同様でした。22:こうして、七人とも跡継ぎを残しませんでした。最後にその女も死にました。23:復活の時、彼らが復活すると、その女はだれの妻になるのでしょうか」。
◇先に死んだ兄と、残されて弟と再婚した嫁との関係は、復活の時にどうなるのか。そう言って主イエスを陥れようとしている。これに対して主は言われた、「25:死者の中から復活するときには、めとることも嫁ぐこともなく、天使のようになるのだ」。
◇私たちは「身体のよみがえりを信ず」と告白するが、「身体」=肉体は様々な悩ましい「問題」をはらみ、死という「限界」を持つものである。復活とは、その肉体が死んで再生することではなく、肉体の抱える宿命的な問題や限界が克服されるということだ。「天使のようになる」とはピュアーになるという意味で、肉体の限界克服の象徴的表現だ。
◇詩編30:6「泣きながら夜を過ごす人にも/喜びの歌と共に朝を迎えさせてくださる」。人間の抱える問題に苦悩し、失望する人も、キリストの復活によって限界が突破され、喜びの朝が来る。
◇「26:「わたしはアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である」とあるではないか。27:神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神なのだ」。孫ヤコブが生まれる前に祖父アブラハムは死んだ。しかし神は同一時に生者の神であると同時に、死者の神でもある。
◇「ただ一つの慰めは、わたしが、身も魂も、生きている時も、死ぬ時も、わたしのものではなく、わたしの真実なる救い主イエス・キリストのものであることです」。(「ハイデルベルク信仰問答」)
◇ 讃美歌260番4節「世にあるうちも、世を去る時も、知らぬ陰府にも、審きの日にも、千歳の岩(キリスト)よ、わが身を囲め」。 大村 栄