聖書箇所-マルコによる福音書13:14~37
◇今日からアドヴェント。アドベントは単なる「クリスマスの前祝い」ではなく、キリストの再臨すなわち世の終わり(終末)の到来を待つ緊張と期待の時である。
◇マルコ13章は主イエスの「終末」に関する教えをまとめた「小黙示録」。その日が来たらとにかく逃げよと命じる。「15:屋上にいる者は下に降りてはならない。家にある物を何か取り出そうとして中に入ってはならない。16:畑にいる者は、上着を取りに帰ってはならない」と言う。
◇マタイの並行記事では(24:40-42)「そのとき、畑に二人の男がいれば、一人は連れて行かれ、もう一人は残される。二人の女が臼をひいていれば、一人は連れて行かれ、もう一人は残される。だから、目を覚ましていなさい」。運命の分かれ道のような体験をすることがある。
◇教会員の鐘ヶ江有道さんは麻布中学2年生の時1954年に、遠足で行った相模湖で遊覧船に乗った同級生が何人も亡くなったが、鐘ヶ江さんは助かった。私自身にも幼い頃に防火用水で溺れて死にそうになった体験がある。
◇なぜわずかの差で自分は助かったのか。あるいはどうして友人は死に、自分は死ななかったのか。因果応報などではなく、深い神の摂理があったのではないか。聖書の教える終末とは、あらゆる人間の知恵や理屈を超越したものだ。だからただ神に信頼し、委ねるしかない。
◇しかし終末は暗いとばかりは言えない。「28:いちじくの木から教えを学びなさい。枝が柔らかくなり、葉が伸びると、夏の近づいたことが分かる」。万物が凋落していく冬のイメージでなく、青葉が茂る夏のイメージで表そうとしている。終末の信仰の究極は、明るくて暖かな時の到来を待つということだ。その日を期待して待ちたい。いたずらに恐怖をそそったり、焦らせたりする宗教は私たちとは相容れない。
◇アドベントとは、「それは救い主の来臨の前ぶれであり、緊張と信仰とを呼びかける告知の季節なのです」(今橋朗)。初めのクリスマスを与えて下さった神が、きっと再び2025年前のあの時のような圧倒的な力をもってこの世界に臨み、救いの完成を実現して下さる。それを信じて待つ深い信頼と待望の季節としてアドベントを過ごしたい。
大村 栄