聖書箇所ーローマ書8:18~25

◇今日のテキストの直前に直前に「8:14 神の霊によって導かれる者は皆、神の子なのです」。「8:17 キリストと共に苦しむなら、共にその栄光をも受けるからです」。そして、「8:17 もし子供であれば、相続人でもあります。神の相続人、しかもキリストと共同の相続人です」。

◇私たちは「神の相続人」であるが、それには「8:17 キリストと共に苦しむなら」という前提がある。共に苦しむならば「その栄光をも受ける」という祝福にあずかるのである。

◇苦しむのは人間だけではない。「8:22 被造物がすべて今日まで、共にうめき、共に産みの苦しみを味わっている」。神の創造された世界は、本来麗しい世界だったが、エデンの園でアダムに代表される人間は、神との約束を破ったために罪を負う者となり、人間だけでなく、「お前のゆえに、土は呪われるものとなった」。その原因は人間にある。

◇だが被造物は秩序回復の時を待っている。「8:19 被造物は、神の子たちの現れるのを切に待ち望んでいます」。被造物世界の秩序回復は、キリスト者の神を仰ぐ信仰者の姿勢に掛かっている。人間が「神の子」として立ち直るなら、「8:21 被造物も、いつか滅びへの隷属から解放されて、神の子供たちの栄光に輝く自由にあずかれる」という希望がある。被造物の苦しみは「8:22産みの苦しみ」であり、喜びの前触れである。

◇「8:24 わたしたちは、このような希望によって救われている」。だがこの希望は、目に見えないものだから忍耐が必要だ。だからⅡコリント「4:18 わたしたちは見えるものではなく、見えないものに目を注ぎます。見えるものは過ぎ去りますが、見えないものは永遠に存続するからです」。

◇有限な世界に生きる私たちが、永遠の世界に包まれている。だからこの世の力は恐れるに足りない。外には迫害があったり、内には肉に属するがゆえの葛藤があったとしても、それらを忍耐し、乗り越えるだけの力が、聖霊の取りなしによって私たちに与えられている。

◇それによって私たちは、現在いかに苦労があろうとも、やがて現わされる栄光を待ち望み、忍耐することができるのである。神による勝利と完成を待ち望む群れとしての教会を守り続けていこう。
                           大村 栄