聖書箇所ールカによる福音書24:44~53
◇復活の主は「3:御自分が生きていることを、数多くの証拠をもって使徒たちに示し、40日にわたって彼らに現れ、神の国について話された」(使徒1:3)。イースターから40日目の先週5月29日(木)がキリストの「昇天日」。
◇主は食事を共にしながら弟子たちに言われた。「4:エルサレムを離れず、前にわたしから聞いた、父の約束されたものを待ちなさい。5:…あなたがたは間もなく聖霊による洗礼を授けられるからである」。
◇復活の主はすでにエマオへの途上で弟子たちに現れ(24:13以下)、また24:36以下では「最後の晩餐」の部屋に集まっていた弟子たちに現れ、「36:あなたがたに平和があるように」と言われた主を、弟子たちは亡霊かと思って恐れた。そこで傷ついた手足をお見せになって、間違いなく以前のイエスと同一であることを示した。
◇それでも、「41:信じられず、不思議がって」いる弟子たちに、「41:ここに何か食べ物があるか」と言われ、「42:焼いた魚を一切れ差し出すと、43:イエスはそれを取って、彼らの前で食べられた」。ムシャムシャと焼き魚を食べたのだ。
◇それは復活について科学的に証明するよりも、十字架によって中断された弟子たちとの、かつての食事共同体を回復再現することだった。エマオの宿でも食事を共にしたし、ヨハネ福音書にもガリラヤ湖畔で朝食を共にするという場面がある。ヨハネ22:19「陸に上がってみると、炭火がおこしてあった。その上に魚がのせてあり、パンもあった」。この食事によって弟子たちは復活の主イエスとの再会を確信させられる。
◇復活の主と食事を共にすることが、教会の「聖餐を中心とする礼拝」の原点だ。聖餐は十字架で流された血、裂かれた肉を頂くことである以上に、復活の主を中心に迎えて、楽しい食卓に着くと言うことなのだ。「神の言葉」と「聖餐」の両面を中心とする礼拝でありたい。
◇主は十字架の贖いによる罪の赦しを宣べ伝える証人として、弟子たちを派遣する。「47:罪の赦しを得させる悔い改めが、その名によってあらゆる国の人々に宣べ伝えられる」。彼らは復活の主イエスとの食事、つまり聖餐の体験を力として、困難と危険の待つ都への派遣命令に素直に聞き従い、「52:大喜びでエルサレムに帰」っていったのだ。
大村 栄