聖書箇所 イザヤ書43:1~7,16~20
◇イザヤ書は時代も著者も異なる3つの部分に分類される。40~55章の「第二イザヤ」(前6世紀中頃)は不信仰の結果であるバビロン補囚の末期に、解放の希望と悔い改めを説いた。今や神はこの苦難の時期を経験した民に、もう一度信仰に帰って立ち直れと命じられる。
◇「1:恐れるな、わたしはあなたを贖う。あなたはわたしのもの。わたしはあなたの名を呼ぶ」。「贖い」とは奴隷や人質を、身代金や代償を支払って買い戻すことである。民が不信仰であった間も神はイスラエルを見守り続けて、「3:わたしはエジプトをあなたの身代金とし/クシュとセバ(エチオピア)をあなたの代償とする」。
◇それほどにイスラエルを尊ぶのは、「あなたたちが他のどの民よりも数が多かったからではない。あなたたちは他のどの民よりも貧弱であった。ただ、あなたに対する主の愛のゆえに、あなたたちの先祖に誓われた誓いを守られたゆえに」(申命記7:6-8)、主はイスラエルを深く愛し、約束に忠実であるゆえに尊ばずにおれないのだ。
◇神の愛は「誓いを守る」ことだった。愛すると誓ったからにはそれを守り通す。新約の時代を生きる私たちは、キリストを代償として贖われた新しいイスラエルである。この私たちに神は、「4:わたしの目にあなたは価高く、貴く/わたしはあなたを愛する。5:恐れるな、わたしはあなたと共にいる」と言って下さる。愛の本質は「共にいる」ことだ。
◇新型コロナウイルスの中で「ソーシャル・ディスタンス」を心がけてきたが、人と人との距離を気にするあまり、心や思いも引き離されるのではないかと心配した。山中伸弥氏はソーシャルディスタンスを「思いやり距離」と訳した。お互いを思いやる適度な距離感を保ちたい。神が「5:あなたと共にいる」と言って下さるから、私たちもたとえ離れていても、「共にいますよ」と言い合える愛のディスタンスを保ちたい。
◇「19:見よ、新しいことをわたしは行う」。天地創造は何も素材のないところから、神の言葉によって新しい世界が造られた。過去や現在の失敗や成功、反省や期待を繰り返すだけでなく、無から有を生み出す神の再創造への希望を深めたい。しかも「19:今や、それは芽生えている」。 大村 栄