聖書-ルカ福音書1:26~56   クリスマス礼拝

◇当時まだ十代前半だったと言われるマリアに御使ガブリエルが現れ、あなたは神の子の母になると言われた時、その驚きはどれ程のものだったか。結婚前の妊娠という問題と同時に、もっと大きな問題は、神の子を宿すという畏れ多い務めに、自分が選ばれたという事柄だ。
◇聖書にはそういう神の召しに対するためらいの記事は各所に見られる。たとえばエジプトで同胞ユダヤ人の解放者として選ばれたモーセ、箱舟を造れと命じられたノア、行き先も知らずに出発させられたアブラハム、主イエスに召されて網を捨てて従った弟子たち、キリスト教徒迫害者だったのにキリストご自身に出合って生き方を変えたパウロ。これらを見る時に、信仰生活とは「神の召しに応える」ことだと言えるだろう。「呼ばれる」calling には「天職」「使命」などの意味がある。

◇マリアは当惑、混乱し圧倒されたが、神は前述のように他にも多くの人々に、不可能に思えるような課題を与えてこられた。マリアも「34:どうして、そのようなことがありえましょうか…」と抵抗するが、天使に「37:神にできないことは何一つない」と言われ、やがて彼女は信じて従う。私たちも神の召しcallingを信じて委ねたい。

◇マリアの言葉「38:わたしは主のはしためです。おことば通り、この身になりますように」は決して、確信に満ちた勇気ある言葉ではない。これはただ自分を神に明け渡す告白であり、神への信頼と服従である。これ自体がルターが「奇跡」と呼ぶ、人間のわざを越えた出来事であった。

◇「おことば通り…」はビートルズの LET IT BE の元になった言葉だ。マリアの讃歌は、神の奇跡に対する彼女の応答の歌だ。社会の変革や女性解放を訴えたりしているのではない。ここでマリアは自分自身を誇ったり、自分の業績に満足したりするのでなく、彼女が仕え、彼女を召したもう神を、神の御業をほめたたえているのだ。

◇讃美歌529番「ああうれし、わが身も 主のものとなりけり。浮き世だにさながら、あまつ世の心地す。うたわでやあるべき、救われし身の幸、たたえでやあるべき、み救いのかしこさ」。今日受洗した3人の姉妹たちも、その喜びをじっくりと噛みしめ、味わっていってほしい。                     大村 栄