聖書箇所 ヨハネによる福音書4:1~15

◇伝道旅行の途上で主イエスと弟子たちは「4:サマリヤを通らねばならなかった」。古くからサマリヤはユダヤと緊張関係にあった。私たちも人生において「~を通らねばならなかった」という緊張に直面することがある。しかしそこに神のご計画がある。

◇「6:そこにはヤコブの井戸があった。イエスは旅に疲れて、そのまま井戸のそばに座っておられた。正午ごろのことである」。座り込んだのは旅の疲れだけでなく「正午ごろ」という時間帯の暑さのせいもあろう。そこへ「7:サマリアの女が水をくみに来た」。亜熱帯地方のパレスチナで、日の高い日中に水汲みに来る女には、余程の事情があったようだ。

◇主イエスは女に「7:水を飲ませて下さい」と求め、女は「9:ユダヤ人のあなたが、どうしてわたしに…」と疑問を持つ。すると主は、ご自分は「10:あなたに生きた水を与え」ることが出来る、と不思議なことを言う。しかも「14:わたしが与える水を飲む者は決して渇かない」と言う。

◇そんな水があるなら、人目を避けて炎天下に「15:くみに来なくてもいいように、その水をください」と女が言うと、イエスは唐突に言う。「16:行って、あなたの夫をここに呼んで来なさい」。これは彼女を突き刺す言葉だった。その理由は主が言い当てている。「18:あなたには五人の夫がいたが、今連れ添っているのは夫ではない」。

◇次々と男を替え、今は夫でない男と同棲している。世間では不品行な女と言われる。これが彼女が人目を避けて水を汲んでいる理由だ。女はそれまでの軽い会話を忘れ、息が止まるようなショックを受けた。

◇女はずるずると誘惑に負けてしまう弱い自分を直視させられた。人はキリストを通して神について知ると同時に、神を必要としている自分を知るのだ。

◇女は自分に神が必要であることを知り、神の赦しと恵みに乞うために、本当の礼拝をしたいと願い、その場所をイエスに問うた。人生の重荷や局面に直面するとき、救いを求める時に、人は礼拝を求め、そのための聖所を求める。

◇だが人が求める以上に、礼拝は神が求めておられる。「24:父は…礼拝する者を求めておられる」。そして真の礼拝は特定の場所や状況によらず、どこにおいても、私たちの献身と祈りにおいて捧げられるのだ。「自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げなさい。これこそ、あなたがたのなすべき礼拝です」(ローマ12:1)。 大村 栄