聖書箇所ーマタイによる福音書3:1~12
◇洗礼者ヨハネは荒れ野で叫んだ。「2:悔い改めよ。天の国は近づいた」。悔い改めとは地上だけを見て生きる者が、神の国を向いて生きる者に変えられること。「3:主の道を整え、その道筋をまっすぐにせよ」はイザヤ書40:3「主のために、荒れ野に道を備え/わたしたちの神のために、荒れ地に広い道を通せ」からの引用。私たちの内にある「主の道」、つまり神との関係を「まっすぐに」することが「悔い改め」だとヨハネは言う。
◇心の内に荒れ野があったとしても、そこに神へのまっすぐな道、天国への広い道をしっかりと整えたい。その「方向転換」が「悔い改め」だ。
◇かつて朝の連続テレビ小説「花子とアン」で女学校の卒業の日に、「学生時代が一番幸せだった」と述べた生徒に校長が言った。「学生時代が一番幸せだった、楽しかった、と心底感じるなら、私はこの学校の教育が失敗だったと言わざるをえない。最上のものは過去にではなく、将来にあります。旅路の最後まで、希望と理想を持ち続けて進みなさい」。
◇この学校は東洋英和女学院。校長はカナダ・メソジストの宣教師のブラックモア女史だ。彼女はブラウニングの詩の一節を引用して語った。「若き日はまだ半ばを示すのみ/神に信頼せよ。すべてを見よ。恐れるな」。過去や現在など部分だけ見ないで、全体を見るべき。特に青春は人生のごく一部だ。これから沢山の出来事が待ち構えているのですよ。
◇やがて戦争の闇の時代となる。村岡花子はモンゴメリーの小説『赤毛のアン』の中から「曲がり角」と訳した言葉がある。「自分の未来は、まっすぐに伸びた道のように思えた。いつも先まで、ずっと見通せるような気がしていた。ところが今、曲がり角に来たのよ。曲がり角をまがった先に何があるのかはわからない。でもきっと一番よいものに違いないと思うの」。
◇人生の旅路は未知であり、時代や社会の中でつまずきや不安な曲がり角に直面することがある。だが「最上のものは過去ではなく将来にある」と信じる信仰と希望によって、その先に豊かな道を信じて進んでいける。
◇「心を尽くして主に信頼し、自分の分別には頼らず、常に主を覚えてあなたの道を歩け。そうすれば/主はあなたの道筋をまっすぐにしてくださる」(箴言3:5-6)。
大村 栄